◆調整値とは、対象企業の財務諸表の確定値等が「真の実力」を示していないと認められる場合に、合理的な調整(加算または減算)を反映した財務数値のことを指す。特にM&Aバリュエーションでは、最も重要な財務数値となる。調整はフロー系に対して行うケースが多く、ストック系に対して行うケースは少ない。フロー系(収益や費用)に対して、それぞれ加算調整と減算調整をする。
◆調整の影響(バリュエーションへの影響)は次のとおりであり、一般的に「費用の減算調整」が最も頻度が多く、金額的に重要である。
調整のバリュエーションへの影響(+:株式価値を増加、ー:株式価値を減少)
加算調整 | 減算調整 | |
収益 | + | ー |
費用 | ー | + |

◆調整内容は、以下のようなものが含まれる。「M&A後の経常状態を想定し、真の実力を示すトップライン(売上高等)やボトムライン(利益やキャッシュフロー)」を算定することを目的とする。
1. 会計基準差異要因:会計基準の認識のズレ(範囲と期間)の適正化
2. 一時要因:一時的な原因や臨時異常な原因によって発生した数値を経常状態に適正化
3. 過大過少要因:非経常的(M&A後には消滅する)な原因で生じた過大・過小な収益・費用の適正化
【Plus】会計基準差異要因には以下のようなものが含まれる。
▽対象企業の会計基準:M&A対象企業の圧倒的多数は未上場企業であり、中小会計要領等の簡略化された会計基準(税務会計)によって会計処理をしている。簡略化されているため、M&Aバリュエーション上、売主にとって有利になることもあるが、不利になる会計処理をしている可能性も高い。つまり、売主に有利な調整が可能な場合が多い。
▽買主の会計基準:一方、買主企業の多くは、企業会計基準(一般に公正妥当と認められる企業会計の基準、J-GAAP)によって会計処理をしており、M&A成立後、連結対象になる対象企業の会計処理を、自身が採用している会計基準に収斂させなければならない。そのため、財務デュー・ディリジェンスの業務範囲(スコープ)には「買主企業との会計基準差異の把握」が含まれることも多く、収斂作業が煩雑で費用負担が大きいと評価されると、想定外に大きなディスカウントを喰らってしまうリスクがある。▽売主の売却準備:そのため、対象企業が、無理をして会計基準をJ-GAAPにレベルアップしないまでも、M&A情報開示の中で、会計基準差異を整理して買主に教えてあげることで「対象企業自らがレベルアップに対応でき、大きな人員補充などの追加コストは不要である」とアピールすることができる。そのため、多少の手間はかかるが、売却準備の中で、最低限の差異分析をして、重要な差異を調整額の中で反映しておくことは、売主にとって想定外のプラス効果をもたらす。
【Plus】一時要因には以下のようなものが含まれる。
一時要因は、臨時異常な原因で発生したもので、今後経常的に発生しないと合理的に説明できる収益や費用である。例えば、以下のようなものである。調整の根拠として、政府公表の資料や内部資料等を収集・整理しておくと、説得力が増す。
▽研究開発費:新規事業のテスト目的で支出した多額の研究開発費用などは、毎年発生するわけではないから、費用から減算調整(臨時性に応じ、全額の減額もしくは平準化)すべきである。
▽天災等による損失:異常気象、天災、災害等によって生じた損害も、毎年発生するわけではないから、費用から減額調整(臨時性に応じ、全額の減額もしくは平準化)すべきである。
▽M&A費用:なお、M&Aアドバイザーを雇うための費用(売主個人ではなく対象企業(法人)が負担する費用)は、税務上のボトムラインを減らすので節税になる上、一時的な費用として費用を減算調整可能である。
【Plus】過大過少要因には以下のようなものが含まれる。
過大過少要因は、現在の株主体制からM&A後の株主体制に移行したら変動(消滅)するであろう費用等を調整するもの、廃止が決定している不採算事業等に関連する収益・費用を減算調整するものが代表的である。キャッシュフローが確定値の数倍にもなることも少なくない。「典型的なM&A株価引上げ手法」であり、買主もよくわかっているから、合理的な根拠として、客観的な証拠を収集し、わかりやすく買主に示すことが重要である。
▽オーナー経費:特に、未上場オーナー系企業は、節税を重視し、「必ずしも事業の存続発展のため必要とは言えない経費」を計上しているケースが多く、このようなオーナー経費は、費用から減算調整すべきものである。
▽過大役員報酬:また、オーナー親族を役員に登用しているが、M&A後は引退を予定している場合、役員報酬から減額調整すべきである。代替人材の要否次第では、全額を減額調整できるケースもあれば、代替人材の追加費用との差額だけ減額調整可能な場合もある。
▽非継続事業の損益:既存事業のうち、廃止を決定(検討)している事業については、その収益・費用を減算調整可能である。赤字事業であれば、キャッシュフローの増加が見込める。
▽実験的な費用:新規事業を開発しよう等として投入した実験的な費用で、結局、芽が出なかった費用も調整できる場合がある。経常レベルであれば調整は難しいが、非経常的なレベルで投入したものであれば費用から減算調整可能である。
【Plus】算定者次第で、調整額が何倍も変わることがある(株式価値も何倍にも)
▽職業倫理:調整額の算定は、仕訳一本一本の背景を理解するところからスタートする。そもそも「楽して大金を稼ぎたい」という欲求でM&A業界に流れてきた「中抜き営業サラリーマン」は、売主の利益のために必死に努力する職業倫理を持っていない。創業や事業継続の苦労に共感することもないから、すぐに安易な方に逃げてしまう。M&A交渉はハードで長期間にわたるため、職業倫理を持っていない人に依頼すると、M&A売主は想定外の苦労やリスクを負うはめになる。
▽インセンティブ:売主の利益を最大化するインセンティブを算定者が持っていない場合、逆に買主の利益を重視して、売主の損害を生み出すことも考えられる。実は、売主無報酬、着手金無料などは一見売主利益であるが、逆インセンティブの典型パターンである。その逆で、仮に売主が高額報酬を支払う契約に見えるとしても、M&A仲介契約(両手契約)の場合には、買主サイドの報酬の算定方法次第では「売主を裏切る方が得になるインセンティブ(売主への報酬より魅力的)」になっている可能性もある。買主との契約について開示請求し、誠実対応を示すか試すのも手である。
▽専門知識:単に会計の知識があればよいというわけではない。会計とは、事業経営の結果を金銭的に表現した言語のようなものである。事業経営に関係する事象全般の理解がないと、正しく会計することはできない。事業についての知識は経営レベルから現場レベルまでと幅広い。理解できない人には意味のある調整作業はできない。会計や事業のみならず、税務、法務・契約や金融取引等についても詳しい必要がある。
▽スキル:ある期間の調整額だけ計算すればよいということにはならない。過去期間について3期から5期の確定値を、「一貫した前提」で整合的に調整しなければならない。また、計画値については、調整値ベースで将来予測したものにしなければ、M&Aバリュエーション上の意味がなくなる。場合によっては試算値を計算したり、暫定値や修正値も計算する必要が生じる。これらを一貫して整合的に、かつ短期間で効率的に計算するには表計算ソフトの高度なスキルが必要で、ときにプログラミングスキルも必要となる。
上記のように、調整額を適切に迅速に算定することは容易なことではなく、また、算定者次第で大きく変動するものである。ただ計算すればよいということではなく、「なぜ調整する必要があるのか」「どのように真の実力を表現したのか」を合理的に説明し、買主サイドの専門家に納得してもらう必要もある。経営のプロに一目置かれる信頼感やコミュニケーション能力も必要なのである。
【Plus】優良なM&Aアドバイザーの必要性
高度な判断や煩雑な作業が含まれるため、調整額を用いた開示資料の準備には、優良なM&Aアドバイザーを起用して経理責任者と二人三脚体制で臨むことが望ましい。買主候補を見つけ(マッチング)、買主候補とのメッセンジャーボーイを担うだけのビジネスブローカーは、このような作業をやってくれない、または、できない、やっても意味がないことが多い。M&A業者の選定では、売主のニーズや対象企業の状況を冷静に見極めつつ、どのような業務を担ってほしいのか、具体的に整理してから決定するとよい。売主無料(=買い手の味方)や成約件数(ほとんど零細安売り)に釣られると、後で後悔するのは売主である。