◆ 割引率とは、将来のキャッシュフローを現在価値に換算する際に使用される利率である。投資家が求める「投資のリスクに応じた必要リターン(資本コスト)」を反映し、リスクが高い投資対象ほど割引率は高くなる。M&A等での株式価値評価以外、つまり債券や不動産の価値評価においても、割引率は投資リスクを反映する指標として定着している。
◆ファイナンスの世界における「リスク」とは「危険(マイナス)」を意味せず、「変動(プラス・マイナス含む変動)」を意味する。例えば、リスクを反映する割引率がゼロ(0.0%)の状態とは「未来永劫のキャッシュフローの安定(変動ゼロ)」を意味し、その対極であるハイリスクの状態とは「短期間でのキャッシュフローの急変動(アップサイドとダウンサイドの両方)の予想」を意味する。つまり、一切規模も収益性も変化しそうにない会社の株式がゼロリスク、急成長しそうな会社の株式はハイリスクである。もちろんすぐに倒産しそうな会社の株式もハイリスクである。
◆リスクの評価には、どうしても評価者による主観(恣意性)が入る。業種の将来性、業界内での地位、経営者の能力、足元の業績や財務健全性は、株式投資リスクを評価する上での基本要素であるが、企業規模も相当な影響を与える点は留意が必要である。「同じキャッシュフローでも売上が大きい企業の方がリスクは小さい(割引率が小さい=企業価値は大きい)と評価される可能性が高いのである。規模が大きいと業績は短期的に安定し、規模が小さいと短期間で業績が大きく変動する可能性が高いことを意味する。直感的に違和感がないだろう。主観(恣意性)は評価される側からすると非常に怖いものであり、評価者(M&Aの場合、最終的な評価者は買主となる)の「ちょっとした誤解」「重要情報のインプット漏れ」等が、例えば「5%のリスク増」「10%のリスク増」として影響してしまうと、株式価値のかなりの部分が崩壊してしまう。だから上場会社ですらディスクロージャーやIRに必死になるのである。
◆投資対象のリスクの大きさに応じて、下表のようなイメージで割引率が変わる(この前提は、リスク・フリー・レート(長期国債の利回り)がゼロ近辺、エクイティ・リスク・プレミアムが6~7%程度としているため、金融・物価が正常化すると、多少上振れする可能性がある)
投資対象 | だいたいの割引率の水準(執筆者の主観) |
国債利回り(デフォルト・リスクが僅少な国) | 0~1%(政策金利や国債発行量等に応じ変動) |
投資適格の社債 | 数%(企業の信用力に応じて変動) |
投資用不動産 | 数%(物件の収益変動リスクに応じて変動) |
上場株式(G.C.前提疑義なし)※TOB案件 | 6~15% |
未上場株式(大企業)※M&A案件 | 6~10% |
未上場株式(中堅中小企業)※M&A案件 | 10~25% |
未上場株式(零細企業・個人事業)※BB案件 | 20~50% |
未上場株式(スタートアップ・再生案件) | 20~100% |
◆割引率とは、将来のキャッシュフローを現在価値に変換する際に、将来キャッシュフローの上にのせる重石のようなものであり、大きな割引率(大きな重石)は将来キャッシュフローを現在価値に換算する際に大きく圧し潰す。小さな割引率はさほど圧し潰さない。
・割引率が上がれば上がるほど、将来のキャッシュフローの現在価値はどんどん小さくなる。
・割引率が下がれば下がるほど、将来のキャッシュフローの現在価値はどんどん大きくなる。
問題は、どれくらい割引率が変わると、どれくらい現在価値が変わるのか、である。
▽年1,000のキャッシュフローの現在価値:「割引率が変化した場合、現在価値がどれだけ変わるか」「現在からの時間的距離が長くなると、現価値がどれだけ変わるか」をシミュレーションすると以下の表のようになる。将来キャッシュフロー1,000の現在価値を示している。事業計画でよく推測する最後の年5年後の列であれば、割引率6%の現在価値は747とまずまず価値が残っているが、割引率が50%だと132、100%なら31とほとんど価値が圧し潰されて消滅している。また、未上場株式(中堅中小企業)の割引率の理想水準10%の行であれば、1年後は909と1,000から少し小さくなっているだけであるが、20年後は149と非常に小さくなっている。毎年1,000が20年続く投資を割引率10%で現在価値に換算して全て合計すると8,514となる。「1~20年後の合計」は株式価値と概ね同じ(厳密にはターミナルバリューの影響も大きいが、ここでは簡便に無視している)と捉えてよい。
割引率 | 1年後 | 5年後 | 20年後 | 1~20年後の合計 |
6% | 943 | 747 | 312 | 11,470 |
10% | 909 | 621 | 149 | 8,514 |
15% | 870 | 497 | 61 | 6,259 |
25% | 800 | 328 | 12 | 3,954 |
50% | 667 | 132 | 0.3 | 1,999 |
100% | 500 | 31 | 0.001 | 1,000 |
▽割引率10%を100とした比較:未上場株式(中堅中小企業)の割引率の理想水準10%の現在価値を100とし、各割引率での現在価値を同じ年の中で比較できるように指標化したのが以下表である。割引率が5%増えるだけで1~20年後の合計(≒株式価値)は26%も減る。割引率が10%増えるだけでは54%も減る。スタートアップのリスクと同等と見做されれば最悪88%も減るのである。主観(恣意性)の恐ろしさを実感できるのではないだろうか。
割引率 | 1年後 | 5年後 | 20年後 | 1~20年後の合計 |
6% | 104 | 120 | 210 | 135 |
10% | 100 | 100 | 100 | 100 |
15% | 96 | 80 | 41 | 74 |
25% | 88 | 53 | 8 | 46 |
50% | 73 | 21 | 0.2 | 23 |
100% | 55 | 5 | 0.001 | 12 |
【Plus】事業リスクの小ささを言語化して買主に伝える重要性
事業のリスクが低い、つまり、企業独自の強み、それによる事業の安定性を買主に正確に理解してもらうには意外と困難を伴う。売主(創業オーナー社長など)からすれば「長年の常識、会社が誇る自慢」でも、外部の買主や公認会計士等からすれば「懐疑心を持って保守的に評価すべき事象の1つ」に過ぎない。そもそも言語化し、資料という形で買主サイドの全関係者が閲覧できる状態になっていなければ「伝達してないのと同じ」であり「売主にとって常識レベルの会社の強み」は「ないのと同じ」になってしまう。「伝わらなければ無いのと同じ」なのである。
対象企業のプラス面やマイナス面を懐疑的に評価してステークホルダーを守る義務を負う買主の役員からすれば、売主の「見ればわかるだろう」「1回口頭で説明したからわかってくれたはず」は残念ながら全然通じていないことも多い。多くのM&A案件の買主は、上場企業や投資ファンド等の組織的意思決定が必要とされる。意思決定には意思決定機関での稟議通過が必須である。そのためには、とにかく高品質なインフォメーション・メモランダムが重要である。意向表明書に満足できる価格を記載してもらえれば、あとはDD資料やインタビュー等で裏付けを与えればよいだけである。「一度価格が出てから後出し情報で値段を吊り上げる」のは、例外的なケースでしかワークしないと思っておいた方がよい。意向表明書を貰うまでが勝負なのである。
簡単に伝えられる強みもあるが、意外と伝えるのが難しい強みも多い。資料を読む人は、買主の経営者もいれば現場責任者もいるだろう。ブレーキ役のCFOが「買収しない方がよい理由(仕事を忙しくしないで済ます言い訳)」を必死に探しながら読むかもしれない。買主が雇う弁護士や公認会計士等の専門家も読む。彼らはそれぞれ異なった目的を持っており、それぞれ独自の角度で読むのである。誰か1人が強硬に「買収反対」「大幅値下げが必須」などと主張すると、最後の最後でどんでん返しがあるかもしれない。売却準備を優良なM&Aアドバイザーと二人三脚でやると、対象企業の詳細が資料を作るM&Aアドバイザーにインプットされるから、少しでも多くの時間をM&Aアドバイザーと費やすことで、このような問題を最小化できるはずである。
【Plus】悪質・無能ビジネスブローカー×詐欺的投資ファンド
未上場株式(零細企業・個人事業)であれば、百歩譲ってギリギリ許容できる年買法(ビジネスブローカーが多用する超簡便評価式)が、どこに位置付けられるかというと、だいたい25%から50%の割引率である。優良なM&Aアドバイザーが担当した場合と比較して、半分以下、酷い場合は1/5や1/10にもなるケースも少なくない。ビジネスブローカーが「いつ倒産してもおかしくない企業に適用すべき割引率を健全な企業に適用してしまっている」「2年後に倒産しても不思議ではない零細企業向けの割引率を、数十年間健全に存続してきた中堅中小企業にも適用してしまっている」ということを意味している。だから「お宝案件狙いの詐欺的な投資ファンドが激増」しているのである。「半額(割引率25%)で買って1年後に普通(割引率10%)に売れば年率100%の投資利回りになる」のであるから笑いが止まらない。ややこしい話なので、圧倒的多数の売主は説明を何度聞いても頭に入れてくれない。そのため「売主が30年かけて構築した価値」が、悪質・無能ビジネスブローカーや詐欺的投資ファンド等に「ごっそり中抜き」されてしまうのである。
【Plus】DCF法の割引率にも色々ある
M&Aバリュエーションで最も正確な評価ができ、成長企業やユニークな強みを持つ企業の評価では特に重要性の高いDCF法では、WACC法とAPV法の利用頻度が高く、それらに使用される割引率はそれぞれ少し異なる概念のものである。
【Plus】DCF法では将来キャッシュフローの予測精度も大事
DCF法の結果に影響を与える2大要素は、割引率と将来キャッシュフロー(将来期間のフリー・キャッシュフロー)である。事業計画上の具体的な施策と財務モデルを用いて将来キャッシュフローを推計する。もちろん、数年後の利益やキャッシュフローを完全に予測するのは不可能であり、いかに説得力を持たせるかがカギとなる。必要な範囲で事業情報(レベニューモデル等)まで遡って財務モデルに組み込み、直感的に納得感のあるモデルの前提条件を設定するなど、様々な工夫が重要となる。