◆善管注意義務とは、委任者である会社が受任者である取締役に課す義務(会社法330条、民法644条)であり、会社の取締役がその職務を遂行する際、職務上合理的な判断をし、会社の利益のために最善を尽くすべき義務を指す。この義務は、取締役が自身の専門知識や経験に基づき、一般的に必要と認められる範囲で、管理者として適切な注意を持って行動することを要求する。忠実義務(会社法355条)も善管注意義務に含める最高裁判例(忠実義務は善管注意義務の具体例)もあり、取締役は自らの利益に優先して会社の利益に忠実に職務執行する義務を負う。
◆義務違反時に取締役が負いうる責任としては、会社に損害が発生すれば、その取締役は会社に対して損害賠償責任を負う。また、100%オーナー社長でない場合、株主代表訴訟(会社法847条)によって会社に代わって別の株主から責任を追及される場合もある。この責任は取締役の個人財産にまで及び、社会的評価や将来のビジネス活動に悪影響を及ぼすリスクがある。ところで、取締役の放漫経営や自己利益優先を律するのと同時に、責任回避を優先し保守主義に陥って経営活動を委縮させないよう、実際の法廷では多くの事例において適度な攻守のバランスを認めている。法令趣旨や判例での線引きを正確に理解し、自らに責任が及ばない範囲で積極的な経営を実行することも極めて重要である。
◆通常の経営意思決定で義務違反とされる行為としては、会社の取締役が、以下のような行為を行った場合、善管注意義務違反(または忠実義務違反)に問われる可能性がある。
▼新規投資等:例えば、新規事業への多額の投資を決定する際、リスク分析を怠る場合。
▼既存事業管理等:予見可能なリスクの回避策を講じないまま、既存事業の拡大や新プロジェクトを強引に進めた結果、会社が損害を被った場合。
▼自己利益を目的とした背任:自分や自分に関連する人物・会社に有利な決定をし、会社に損害を与えた場合(忠実義務違反)。
◆M&Aにおける善管注意義務違反となりうる行為としては、以下の例を挙げられる。ただし、売主の場合、善管注意義務違反(会社に対する義務)に加え、第三者に対する責任(新株主=買主に対する義務、会社法429条)による義務違反を含む。

▼売主兼取締役としての行為:
▽不合理な意思決定:売主が取締役(オーナー社長等)であり、過去の明らかに不合理な経営意思決定から会社に損害が生じた場合(善管注意義務)。
▽適正な価値評価を怠る行為:オーナー会社の取締役が、子会社の価値を合理的に評価(DCF法等の評価方法を複数吟味)せず、適正価値より大幅に安く売却させ、会社に本来高い価値を持つ子会社を廉価で手放させてしまう場合(善管注意義務、取締役自らが買い受けていれば忠実義務)。
▽不適正開示:情報の非開示、虚偽開示や過少開示:売主であり取締役でもある者(オーナー社長等)が、会社のリスクについて誤った、または、過度に品質の低い情報を提供し、もしくは、必要不可欠な情報を提供せず、買主に誤解を与えた結果、買主に損害が生じた場合(第三者に対する責任、適正情報開示義務)。
▼買主としての行為:
▽不合理な意思決定:株式価値評価額、取得の必要性、財務上の負担、株式取得を円滑に進める必要性等を総合的に考慮して決定せず、会社に損害を与えた場合。
▽デューデリジェンスの懈怠:買主の取締役が、対買主企業が負うリスクについての調査分析を十分に実施せず買収を決定する場合。
▽期待シナジー効果の過大評価:十分な品質を伴った情報を十分に収集せず、または収集情報に関する合理的な分析評価をせず、買収後のシナジー効果(インパクトと実現可能性)を過信し、リスクに見合わない高額での買収を行う場合。
◆M&A売主でもある取締役(オーナー社長等)が善管注意義務違反に問われることを避けるための事前準備としては、以下を挙げられる。
透明性の確保:会社の事業、財務、税務、法務、人事、IT及びESG等に関する重要なリスク情報を適切に整理し、買主に十分かつ高品質な情報開示を行う。
専門家の活用:売却価値の公正な評価を行うために、社外のM&Aバリュエーションに精通した公認会計士等を起用し、会社の価値を適切に算出した上で、その金額以上での取引成約に務める。
重要な欠陥の発見と事前治癒:各種リスクを丁寧に点検し、重大なリスクと認識されかねない欠陥が発見されたら、必要な治癒を施すことでリスクの消滅または減少を図る。
◆M&A買主企業の取締役が義務違反に問われることを避けるため売主に要求するであろう事項と売主が取るべき対応としては以下を挙げられる。
デューデリジェンスの徹底要求:買主は売主に対し、各種重要リスクの詳細を明らかにするデューデリジェンスを求めることが想定される。これに対し、売主はデューデリジェンスに誠実に応じ、適切に情報を提供する義務がある。
将来リスクに対する補償要求:買主は特定のリスクについての不存在に関する表明保証や補償の条項を最終契約に含むよう交渉し、万が一問題が発生した場合に補償が受けられなければクローズできないと主張することが想定される。売主はこの要求を事前に想定し、過剰な補償負担リスクを負わないよう、リスク自体を消滅・縮小しつつ、契約条項についても公平以上の条件を勝ち取るよう交渉すべきでる。
十分かつ高品質な情報開示要求:買主は対象企業の株式価値等を適正評価するために、十分かつ高品質な情報開示を売主に要求することが想定される。これに対し、売主は、リスクについて適切に開示する一方、リスクの過大評価やポテンシャルの過小評価をされないよう、絶妙な匙加減で高品質情報を精製するべきである。
【Plus】オーナー経営者である売主が優良M&Aアドバイザーを活用すれば、通常の経営活動に大きな支障を来すことなく、事前対策(売却準備)や高品質な開示情報の準備について有益なサポートを得るこをできる。M&A会社売却を成功させ、かつ、善管注意義務違反・忠実義務違反・第三者に対する責任・適正開示義務といった取締役個人に責任が及ぶリスクを大幅に軽減できる。