◆ エスクローとは、取引当事者同士の関係だけでなく、第三者(エスクローエージェント)を介し資金や資産の受け渡しを行う仕組みである。M&Aの局面では、売主と買主の間にあるリスクを調整するため、クロージング後も一定期間、売買代金の一部をエスクロー口座に預けておくケースが見られる。
◆ M&Aにおいてエスクローは、取引完了時点で未確定のリスクをカバーするために使われる。典型的には、次のような場面で活用される。
・表明保証違反のリスク: 取引実行後に売主の表明保証に違反する事実が発覚した場合、買主はエスクローに預けられた資金から補償をスムーズに受けられる。
・特定の債務や訴訟の解決: 取引実行前に発生した訴訟や債務の処理が残っている場合、その解決までエスクローに資金を預け、問題解決後に売主へ支払う。
・営業成績や特定条件の達成: 売主が特定の営業成績等を達成することを条件とした価格で成約した場合、エスクロー資金はその成績の確認が取れるまで保留される。
◆売主にとって、エスクローは満額の受取り時期が遅れる、または、一部の受取りができなくなるため、次のようなポイントについて注意が必要である。
・エスクロー期間: エスクロー拘束期間が長い場合、売主の選択肢に制限が生じるため、可能な限り短縮する交渉が重要となる。
・エスクロー対象額: エスクローに預ける資金が多額になると、実質的な売却金額が減少するリスクを抱えることになる。売主は、売主が負担すべきリスクに限定した、適切な金額まで抑える交渉が重要である。
・エスクロー解除条件: エスクローの解除条件を具体的に規定し、可能な限り条件を緩めてもらう工夫が必要である。
◆ 売主がエスクローを回避したい場合、以下の準備が必要である。
・表明保証の透明性確保: 売主は、誠実に情報開示することで、買主からの信頼性を確立し、もってそもそもエスクローの必要性を感じさせないことができる。
・債務消滅や訴訟解決: 売却前に可能な限り債務を消滅、訴訟を解決し、取引後に発生するリスク自体を消滅させておく。
・第三者による保証: 売主が第三者の保証や保険を利用し、買主の懸念をカバーすることで、エスクローを避けられる場合がある。保証会社や保険会社の介入により、多少のコストはかかり対象企業の評価は若干下がるが、売主が早期に満額受領できる可能性は増える。
・業績条件の早期達成: 特定の業績条件が問題となり評価ギャップが生まれているのであれば、取引実行前に業績条件を達成し、条件をクリアした状態で取引を進めることで問題を解消できる。
【Plus】 エスクローは、M&Aにおける売主と買主の間にある評価ギャップを埋め、破談を避けるための重要なツールである。売主としては、評価ギャップを最小化する準備をしておくことが重要である。買主側もリスク回避に執心する義務があるため、その懸念に適切に対応することが、取引の円滑な完了につながる。
【Plus】売主の立場からすれば、エスクローは全額の受領を危険に晒し、受領時期を遅らせるネガティブな要素と受け取られがちである。しかし、発想を逆転し、これを武器と見做せば交渉の選択肢を増やすことができる。つまり「特定の買主への売却が、妥協できる範囲であるが大満足レベルには至らない」「他の買主よりまし」「さらに他の買主の探索打診からやり直すほどの大きな不満ではない」というケースである。この場合「大満足レベルに到達できるチャンス」をエスクローを使って作る、という発想の方が建設的である。ある条件をクリアすれば100(ただし条件クリアまでエスクローで20預り)という条件で合意しておけば、条件クリアに邁進することで100の売却代金を受け取るチャンスを作れるのである。単純に妥協すれば80で交渉終了となってしまう。買主サイドから「〇〇があるのでご希望の100は難しいですね」と言われたら、逆に交渉チャンスと捉えるべきである。エスクローの他にもアーンアウトという方法もある。避けられたら避けたいが、こうなってしまったら使わなければ損、というギャップ調整ツールの一種である。最高の売却準備をしても、どうしても重大かつ不確実なリスク要素が残ってしまうケースはある。その時の交渉ツールとして押さえておくとよい。
【Plus】売主が、エスクローを利用されてしまう場合「一部入金、一部は金額未確定で将来入金の可能性あり」という状態となる。特に売主が個人の場合、いわゆる権利確定主義の観点からの税務リスクへの配慮も重要となる。税率は100%を超えることはないから、エスクローだろうが、アーンアウトだろうが、貰える権利を貰えるなら貰っておくことが重優先ではある。しかし、できるだけ税率の低い所得区分として申告納税できるよう、税務当局から想定外の追徴を受けることのないよう、事前ヒアリング、最終契約での定め方や申告にも配慮が必要である。