◆M&A競争環境とは、M&Aプロセスに参加する買主候補間での対象企業の獲得競争の活発さの程度のことを指す。一般に、競争が活発なほど売主に有利で買主に不利とされる。対象企業が一定の事業規模があってユニークな強み(=希少性)を持つ場合、M&Aの競争環境を活発にしやすく、そうでない(平凡で小規模な)場合、M&A競争環境を活発にすることが困難になりやすい。
◆M&A競争環境が活発になるほど、買主からみて「他にも真剣に検討している買主候補がいる」「競合他社に対象企業を奪われる」「値下げ交渉しにくい」という効果をもたらすが、一方で「売主が複数の買主候補からの情報提供リクエストに同時に応じる必要があり、負担が大きくなる」という影響ももたらす。
◆M&A競争環境は、交渉方法によって決定される。M&Aの交渉方法として代表的なものは次の2つである。「買主候補の数」に着目した交渉方法の種類である。

▽相対交渉:1社の買主候補との間で独占的に交渉する交渉方法。一般的にDD開始時に独占交渉権を付与する。買主から見て「買主候補が自分たちしかいない状況」であることが確認できており、「売主の足元を見た交渉」をしやすくなるため、売主にとっては不利となる。
▽競争入札:複数社の買主候補との間で競争的に交渉する交渉方法。入札によって最終的な落札者が決定する。最終入札で落札した買主候補に独占交渉権を付与する。買主から見て「自分たち以外にも買主候補がいる状況」であるため「自分たちが出せる最大限の条件」を引き出しやすく、売主にとっては有利となる。
◆ところで、一旦、M&A競争環境を活発にすることに成功したように思えても、「買主候補1社に絞り込んでから最終合意までの期間」が長い場合、事実上、相対交渉と同じ競争レベル(もしくは悪化)になるリスクがある。そのため「買主候補の数」だけでなく「複数買主が残る期間」「最終合意までの期間」も考慮してM&Aプロセスをバランスよく設計する必要がある。


▽期間限定相対交渉:相対交渉に入ってから最終合意までの期間が無制限だと、買主はDDや契約交渉に不必要なほど時間をかけ、他に買主候補がいなくなった売主と1対1で交渉できてしまう。売主は焦燥感を覚え、売主の足元を見た値下げ交渉を仕掛けやすくなる。そこで、独占交渉期間を一定期間(DDやDA交渉に必要十分な期間)に区切る。しかし、独占交渉期間を設けても「どうせ他に買主候補はいないだろう」と思われてしまえば効果はなくなる。そのため「なんなら他の買主候補にいつでも乗り換えますよ、という空気」を作っておくことが極めて重要である。売主が焦りを見せるのは禁物である。基本は笑顔に前向き、時々クールにポーカーフェイスである。そうすれば買主候補に安心と期待をバランスよく与えることができる。
▽参加数限定競争入札:入札プロセスに参加できる買主数が無制限の場合、買主は徒労リスクや勝者の呪いリスクを認識し、警戒して参加を見送るリスクが高まる。そのため、参加可能な社数を限定(例えば2社まで等)しておくことで、買主に安心と緊張をバランスよく与えることができる。これをクローズド・ビッド(クローズド・オークション)と呼ぶ。もし売主にとって最も望ましい買主候補が決まっているなら、その買主候補にラストルック権を与える等の方法もある。
【Plus】「競争入札案件への参加禁止ルール」を設ける買主もいる
落札者(勝者)は、最高額を提示したことで買収できることになるが、結局買収後に苦労するという「勝者の呪い(Winner’s Curse)」という格言がある。もちろん、本来あるべき買主の姿勢としては「自分たちが有する経営資源、シナジーのアイデアや経営管理能力を考慮し、出せる範囲の価格を提示し、無理に落札しようとせず、運よく落札できればよいし、落札できなければ諦める」が正解であろう。優れた買主はこのような姿勢を取ることが多い。しかし、「高すぎる価格によってM&A投資が失敗に終わるリスク」があるのも事実であり、「全てのM&A案件で競争入札なら検討しない」という社内ルールを設ける慎重な(もしくは経営能力に自信のない)買主も存在する。売主としては、できれば前者の「有能で自信を持つ買主」を探したいところであるが、現実的に後者の買主がベストとなるケースも多いにありうる。その場合でも、単純な無期限相対交渉は極力避けるべきである。他の買主候補にも目を配らせながら「(一定期間内に成約できなければ、独占交渉権が失効する)期間限定相対交渉」によって交渉すべきである。
【Plus】常に競争入札できるかのような営業トークをするM&A業者もいる
過半を占めるBB業者は、両手報酬のM&A仲介業者であり(売却価格が多少減ろうが成功報酬が凡そ倍になるor最低成功報酬で保証されているため)両手報酬契約が確実そうな買主を優先したい、という欲求を持っている。できるだけ早いタイミングで無期限相対交渉に持ち込んで両手報酬契約を確保したいのである。つまり、売主の交渉パワーを早い段階から喪失させてでも自分たちの報酬だけは増やしたい、という売主と利益相反するインセンティブを持っている。比較的わかりやすい「M&A仲介業の欠点」であるため、一部のFAは「うちは競争入札で売りますから高く売れます」といった営業トークをする場合もある。しかし、競争入札にはデメリットがある。もしかすると「意中の買主候補」がプロセスから離脱してしまうかもしれないし、売主も同時に多数の買主候補との膨大な情報のやり取りをしなければならなくなる。あくまでも「どの程度強い初期的関心を得られたか」「どのような買主候補が残ったか」を踏まえ、現実的に「売却条件と確実性のバランス」を取りながら、交渉方法を柔軟に設計すべきである。極端な話、競争入札よりも相対交渉の方が売主に有利なケースすらありうるし、絶対に競争入札(しかもフル・オークション)によって交渉すべき状況もあるのである。