◆無リスク利子率(リスクフリーレート)とは、投資リスクをゼロとみなしてよい投資資産の利回りである。M&Aバリュエーションにおいて、「投資リスク(価格変動リスク、信用リスクや為替リスクなど)のない名目ベースの時間価値」を反映する利回りを必要とするため、無リスク利子率が必要とされる。
◆ここで重要なことは名目ベース、すなわち物価変動である。DCF 法で使われる無リスク利子率は名目利子率であり「期待物価変動率」が含まれている。DCF法の将来事業フリー・キャッシュフローも名目ベース(実際の販売価格や費用の単価の変動を予測し財務データに反映)にしなければ、インフレ下では株式価値が過小評価となるリスクがある。
◆通常、長期国債の利回りが使用される。低流動性によるミスプライスを回避するため、特に潤沢な流動性のある国債年限の中から最も長期の国債が採用されやすい。日本では10年国債、アメリカでは30年国債が採用されることが多い。無リスク利子率は、中央銀行の金融政策の影響等を受け変動する。
◆M&AバリュエーションのDCF法では、5年程度の長期間の予想将来事業フリーキャッシュフローを現在価値に割引いて事業価値や株式価値を算定する。それぞれの将来期間に対応する割引率を個別設定するのは実務上大変であるため、1つの割引率で全期間統一するのが通常である。そのため、長期の利回りが選ばれる。
◆無リスクと言えるには、投資額が100%確実に回収できなければならない。国債の「信用力」の問題となる。信用力評価の参考になるのは、格付け機関の格付け(AAAが最上位)やクレジットデフォルトスワップ(CDS)のレート(小さい方が信用力がある)である。デフォルトリスクが加味された利回りとなると、純粋な時間価値を表わさなくなってしまうため信用力の低い債券利回りを無リスク利子率として採用するのは問題がある。信用リスク分の調整が必要になる上、エクイティリスクプレミアムの測定前提と平仄を合わせる必要も生じる。2025年時点において、日本国債のCDSレートを見れば、「日本国債の信用力は全く問題がない」と市場で評価されている。マスコミの恐怖煽り記事などに騙されないようにしないといけないのである。
【Plus】事業計画では必ず「物価変動率」も考える
無リスク利子率は、期待物価変動率が含まれる名目ベースの利回りである。もちろん、そのまま使用してよい。逆に言えば「物価変動率を加味せず、対象企業の事業計画数値を算定してはいけない」ということでもある。物価上昇率が今後5年で毎年+1.5%と予測されているなら、その前提(個別商品の価格上昇率はさらに高いかもしれないし、低いかもしれない)を事業計画に反映させなければ、優良企業ほど過小評価されてしまう。本当はキャッシュフローが増えるはずなのに物価上昇率分を放置しておきながら、物価上昇率分を含む大きな割引率で大きく割り引かれてしまうので、過小評価となるのは当然である。日本は長らく物価上昇がない世界であったため、投資やM&Aの世界に最近入ってきた人は「物価変動を事業計画やバリュエーションに反映させるという当たり前」を知らないリスクがある。M&A売主はこの点に注意を払ってM&Aプロセスを進めるべきである。
【Plus】インフレ局面ではユニークな強みがあり販売価格の値上げができる会社は有利
優良なM&Aアドバイザーが事業計画の策定支援をしてくれるなら、販売価格の上昇率分を精密に財務モデルに反映してくれるはずである。主な商品/サービスの販売価格と重要な費用の値上げ率を加味すると、金利上昇による悪影響を吸収して余りある高額評価が可能となる。しかし、もし「コスト上昇分を販売価格に転嫁することができない会社」を売るなら、お勧めは「値上げできるようにしてから売る」「インフレが落ち着くまで待つ」である。売却準備活動の中で、事業の競争力を根本的に高めることができれば、1年後に高額売却できるかもしれないし、それができないうちに下手に急いで動くと「似たような価格転嫁のできない会社のバーゲンセールの1社」という見え方になってしまう。もちろん、年買法などの悪質・無能BB業者の簡易価格は論外となる。今の価格しか反映しないからである。できるだけ優良なM&Aアドバイザーと早めに相談し、すぐ売るのか、準備してから売るのか、一旦待つのか、を慎重に判断すべきである。