◆ 着手金とは、M&A助言業務委託契約(FA契約及びLA契約)締結時に、M&Aアドバイザー(ファイナンシャル・アドバイザー:FA及びリーガル・アドバイザー:LA)に支払われる報酬の一種である。M&Aプロジェクトが本格的に開始される際、初期段階で支払われる費用として位置づけられる(ビジネスブローカー(BB業者)は業務内容の質や範囲が異なり、BB業者に支払う着手金、着手金無料制度や着手金相当の補助金等は、M&A案件とは関係がなく、BB案件での集客スタイルの一環に過ぎないため基本的に考慮外とする。)
◆M&Aアドバイザー(FA)には、売主サイドに就くセルサイドFAと、買主サイドに就くバイサイドFAに分かれ、それぞれがクライアント利益最大化のために尽力する。クライアント(売主又は買主)は、FAを起用する義務はなく、自らの利益最大化や損害回避のため必要と考えれば起用すればよい。訴訟における弁護士と同じような関係である。自己弁護や対立の矢面に立つ状況のことを考えれば、第三者の専門家を間に置く意義は大きいため、M&A案件では大半のケースでFAが両サイドに就く(投資ファンド等のM&A取引に習熟したクライアントを除く)。着手金は就任時に支払う。
◆ 着手金は、FAがM&A案件に着手すること自体に対する報酬であり、対象企業に関係する市場・競争・事業・財務・税務・法務・ITなどに関する調査分析、買主候補リストの作成、M&A戦略やM&Aスキームの立案や初期的情報開示の準備などの「初期作業にかかるコスト」が含まれることが多い。つまり、対象企業が非常にシンプルな事業であれば着手金は小さな金額でよいし、特殊性の強く複雑な事業や子会社がたくさんある企業であれば着手金は多めに必要となるのが基本である。
【Plus】専任義務と着手金の関係
着手金が発生する契約では、専属委任義務(エクスクルーシブ義務)が付与されることが一般的である。つまり「他のFAを同時に起用せず、1社のFAに独占的にM&A助言業務を依頼する義務」を指す。専任義務により、FAは「最大限の努力を投じる動機(徒労リスクを最小化できるので注力しやすい)」を持つようになる。一方で、専任義務を負わず「複数のFAに競争させる方法」もある。この場合、着手金は通常不要となるが、上記のような初期作業はすべてクライアント自身で実施する必要が生ずる上、「浅薄な理解のまま提案に向かうFA」を多数投下することが必ずしも良い結果を導くとは限らないため、クライアントのM&A習熟度や案件の性質毎に検討すべきであろう。全ての条件が整っているなら、多数のFAを競争させる方がクライアントにとって有利になる。そうでないなら専任の方が無難であろう。
【Plus】不成立時の着手金の返還
着手金は、M&Aの成立・不成立にかかわらず返金されないのが通常である(法形態としては委任契約)。着手金は「アドバイザーの時間の準占有」という性質を持ち、膨大な労力を投じ、提案・交渉の期間が長期化しても「他の案件にリソースを動かさない」ことをFAに約束させ、クライアントの利益を守る仕組みでもある。一種の保険料だと思ってもらうとわかりやすいかもしれない。
【Plus】着手金の負担者
セルサイドFAに支払う着手金等の報酬を誰が払うべきかという問題もある。主に資金力と税務上の問題である。M&A成立によって利益を受けるのは売主なので、売主が負担するのがシンプルな構造である。しかし、個人売主が着手金を負担する事は難しい場合も多い。「株主との資本関係を再編するための業務」の外部委託という意味では、対象企業が負担してもなんら不思議はない。税務上もいずれも問題ないとされる。個人売主の株式譲渡所得の必要経費でも、対象企業(法人)の損金でも落とすことが可能である。
【Plus】成功報酬から控除する仕組みの是非
着手金を成功報酬の一部として扱い、成約した場合には成功報酬から控除する仕組みを採用することもある。これは、FAに「クライアント利益最大化のインセンティブ」をどの程度付与するかという問題である。最高の結果を目指したく、それが実現可能性があり、FAにも相応の負担がかかる場合、控除しない方がよいし、そうではない場合は控除してもよいだろう。
【Plus】誤差レベルの節約が自分の首を絞める?
着手金無料、売主報酬無料などの「無料集客キャンペーン」がビジネスブローカー業界で定着している。「悪かろう安かろう」の典型的なトラップであり、「300万円(着手金)と5億円(売却額ディスカウント)どちらが大事か」という問題でもある。1%にも満たない節約のせいでM&A取引自体が大失敗しては元も子もない。着手金が無料ということは、上記「初期作業」が陳腐であることを意味し、候補選定が的外れ、提案・交渉も陳腐になりやすいことを意味する。また「自分の案件のために時間を使わなくてもよい」「いつでも他の案件を優先してよい」と認めているのと同じであって、クライアントが貴重な時間や千載一遇の機会を喪失するリスクも孕む。さらに重要なのは「報酬を支払う相手サイドに就く」ことを許容しているのと同じであり、ビジネスブローカー含めた関係者全員に対し売主1人で立ち向かわなけばならないことをも意味する。セルサイドFAは、膨大な労力や長い時間を消費するため、成功可能性が高く収益性も見込める案件に従事したいのが本音である。売主が着手金を支払う意義を理解せず、目の前の誘惑に負けるようなら「FAとしてもお客様を選びたい」となってしまうのは仕方がない。「着手金が欲しいから」というよりも「理屈が通じる売主のために働きたい」という意味も強いのである。
【Plus】それでも着手金を先払いしたくない場合
M&A助言契約は、テール条項という途中解約をしにくくさせる条項が入るのが一般的であり、期待して任せてみたものの期待を裏切られた、という状況に至れば、テール条項について整理した上で、早めに見切りをつけて解約し、別のM&Aアドバイザーを探した方がよいケースも少なくない。「最初の営業マンは良いことづくめ。契約して始まってみたら。。。」というパターンはM&A業界でも存在するはずだ。こういうシナリオが頭をよぎれば、着手金を一括払いしたくない、と思うのも当然である。
この場合、
①着手金は大幅カットその代わり月額支援報酬(リテイナー・フィー)として支払う方法
②業務範囲と着手金は大幅カットその代わり信頼できるようになったら業務範囲拡大と臨時報酬(テンポラリー・フィー)を支払う方法
③着手金は大幅カットその代わり成功報酬にインセンティブを加えて支払う方法
などが考えられる。重要なのは「M&Aアドバイザー(FA)との信頼関係」を構築するために必要なことを疎かにしないことである。「FAが合理的な解約条件を飲むかどうか」も誠実さを測るチェックポイントになるだろう。
【Plus】着手金無料の対価としての最低成功報酬の是非
ここまで理解してくれた方には説明の必要はないだろうが、着手金無料の代わりに最低成功報酬を許容するのは、基本的に止めた方がよい。自殺行為に等しいので、M&A仲介(買主から報酬受領)の場合は絶対にNGである。また、常時FA(片手報酬)だとしても、買主候補がお得意様の買収リピーターであれば買主の利益を優先するリスクが残る。最低成功報酬を売主が許容するということは、売主が許容できるギリギリまで売却額を引き下げるインセンティブを与えるのと同じ(=価格を下げる方が簡単に成約できる、十分な最低成功報酬を貰えるなら頑張るだけ損)である。半年、1年という時間、慣れない専門用語が飛び交う交渉が続き、多くの売主は疲弊して「妥協売り」してしまう。そうなると出来上がりの成功報酬の料率(レート)は「最低成功報酬」÷「妥協売り価格」となる。ビジネスブローカレッジ案件(零細案件)の場合は特に過大な料率になってもおかしくない。この仕組みで潤うのは、悪質・無能ビジネスブローカーとバーゲン買収狙いの買主だけである。
【Plus】着手金が適正であるかの見極めポイント(まとめ)
▽案件の難易度:難易度が高い案件ほど着手金が高額になる傾向がある。対象企業の複雑性・特殊性、売主ニーズの実現可能性が難易度に影響する。
▽実績と評判:実績が豊富で特筆すべき成果を積み上げているFAほど、着手金を要求するケースが多い。成約件数が少なすぎると問題だが、単なる成約件数はさほど意味を持たない。M&A案件なのかBB案件なのかでも意味が全く異なる。BB案件100件の経験でも、M&A案件ではゼロのままである。「成約したM&A案件でどれだけクライアントの期待を上回る成果を挙げたか」が重要である。
▽専任契約の有無:専任契約が結ばれる場合は、着手金の発生が一般的である。専属にすることがメリットになるならば着手金を支払うべきである。長期間の案件期間が想定される場合、専属契約にするには相応の着手金でなければ優良なM&Aアドバイザーは他の案件を優先してしまうだろう。
▽他の報酬とのバランス:リテイナー・フィー、マイルストーン・フィー、テンポラリー・フィー、サクセス・フィーなどの他の報酬体系とのバランス次第の面も大きい。着手金単独で検討すべきではない。