M&Aで会社売却の検討を始めると、「会社を売却されるかもしれない」ことが、少なくとも一部の役員・従業員には伝わります。バイサイドへ重要な情報を的確に開示するため、M&A後に残るキーパーソンの能力や意欲をバイサイドに評価して安心してもらうため、Q&Aの回答を一緒に作ったり、マネジメント・インタビューに参加してもらうことがあるからです。
その際、社内外への情報漏洩に細心の注意を払い、一切の口外を禁じることは言わずもがなですが、それとは別の問題が生じる場合があります。
その一部役員・従業員による「裏切り行為」です。
オーナー交代の意味
M&Aは「株式譲渡」によるものが大半です。株式譲渡では、オーナーが保有している株式の全部または一部が、別の株主(=バイサイド(買い手))に異動するのみです。ターゲット企業(売り手企業)という法人に変化はないし、中で働く役員・従業員にも直接の変化を及ぼしません。
しかし、多くのケースでオーナー社長の希望を踏まえつつ、M&A後、比較的すぐに、社長が交代します。
中で働く人からすれば「働く環境の急変」を感じさせる大きなイベントです。特に、すでに役員になっている人や役員を狙っている従業員にとっては、「ルールブック」が大幅改訂される可能性を感じさせるのです。
株式上場をすると経営陣が大幅に入れ替わったりするのと似ているところがあります。古参経営陣は変化を嫌い自ら会社を去るのです。今までの働き方や評価のされ方が「変わる」、今までの仲間とは違う種類の人が「乗り込んでくる」というのは、人間誰しも「不安やストレス」を感じるのでしょう。
このような一種の「危機感」は、前向きに現状打破するための「良い刺激」にもなりますが、短絡的な「悪い刺激」にもなるので、役員・従業員の方への「伝え方」は、相手の性格等を考慮して慎重に検討しましょう。
そして、「悪い刺激」によって、誰にも迷惑をかけずに会社を去るならまだ許せますが、保身のために会社に迷惑をかける人も残念ながら時々います。
どのような社内人材によるM&A妨害策があるか?
■ オーナー社長の個人的なお気に入り役員(能力的にはいま一つであることが自他ともに認識)が、オーナーがいなくなると自動的に自分の椅子がなくなると危機感を感じ、保身のため、会社の営業機密を持ち込むことを条件に、ライバル企業に転職しようとしたというケース
■ 温和なオーナー社長の快適さに慣れた役員が、業績向上を重視する新しい社風に怯え、M&Aの交渉進行期の業績が低迷するように社内で画策し、M&Aの成約を妨害したというケース
■ 不安を覚えた役員が、社内従業員や取引先へ枝葉をつけた噂を広め、重要な取引先から確認の問い合わせが来たり、競合企業がネガティブ・キャンペーンで利用したケース
このような事態になると、M&A検討の断念、条件の妥協にもつながりかねません。
オーナー個人としては、自分の資産を売却するという当然の権利を行使しているだけなのですが、保身のために妨害したくなる利害関係者がいるということです。人によっては人生の岐路とも言える重大イベントに映るのでしょう。
どのような対策があるか?
M&Aでは社外に関心が集中しがちですが、社内の不穏な動きにも気を配るべきでしょう。しかし、そもそも、無意味な危機感が発生しないようにすることが理想的です。
本来、良いM&Aでは、社内の役員・従業員にとってもプラス、会社にとってもプラス、結果として、今後の高い期待が株式価値に反映されてオーナーにとってもプラスになるものです。オーナーが1人で得をして、他の役員・従業員が割を食うものではないのです。「オーナー社長が自分たちを残して逃げる」と思われないようにしたいところです。
理想的には、M&A交渉を開始する前から、M&A後の経営チーム体制を整備しておくことを推奨しています。
つまり、会社の主要メンバーを、①完全に信頼できM&Aを実行した後もキーパーソン間違いなしの役員・幹部従業員、②それ以外の役員・幹部従業員に区分し、前者の人材に重要業務(開発、営業、マーケティング、財務等)のすべてを集中させるのです。
①に重要業務を集中させておけば、M&Aの交渉中の妨害リスクは最小化できるでしょうし、M&A実行後も安心してバイサイドにかじ取りを任せられます。さらに、②のうちM&A後にバイサイドが処遇に苦労する問題人材がいれば、M&A実行前に適切な対策をしておくことで不要な評価減を回避できるでしょう。
ところで、最近は、アウトソース業者を多用することで、スピード・クオリティ・ローコストを実現することが容易になりました。アウトソース業者についても、役員・従業員と同様の問題が生じる場合がありえます。早めに評価・対処をしておかないと、M&A的な重大問題と映り、評価が下がる原因になってしまうこともありえます。