セルサイドオーナー(売り手)のM&Aプロセスの第一関門は、バイサイド(買い手)を探索し、条件交渉をサポートしてくれる、M&A助言会社の選定です。
セルサイドオーナーはM&A初心者であることが多いため、M&Aに関する知識が乏しいまま、M&A助言会社から言われるがままに業務委託契約書(Engagement Letter)を締結してしまいがちであり、それが後々の大問題を引き起こしかねないという点は肝に銘じておきましょう。
実際のバイサイドとの交渉プロセス内で不利な状況に陥ったり、別のM&A助言会社に切り替えたくても切り替えられないといった状況に陥ることがありえますので、契約書のひな型(ドラフト)が提示されたら、各条文の意味するところを詳細に理解し、自分と自社が置かれる状況、自分のニーズや心配事等をしっかりと吟味して、必要に応じて条文を修正してから締結するなど、徹底的に納得のいく形にしてから捺印するように心がけることが重要でしょう。
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目次
M&A助言会社との業務委託契約の内容
M&A助言契約は、委任契約として締結されることが通常で、内容としては、一般的な業務委託契約と大差ないように見えるかもしれません。しかし、M&Aという取引の性質(重要性と複雑性と不可逆性)、片手業者と両手業者という利益相反構造の有無の違いから、表面的には同じように見えても、業務内容の質と量、問題が起きる可能性、問題が起きてしまった場合の回復手段など、問題のある業務委託契約を締結してしまうと後々大きな差が生じるリスクがありますので、必ず複数のM&A業者を呼んでアイミツを取り、提案内容と契約内容を正確に理解し、総合的に比較して、完全に納得してから、M&A助言会社との契約を締結することが重要です。
以下、典型的な業務委託契約の構成に従い、内容について簡単にコメントをしていきます。
■ 前文:
ここでは助言の大前提として、委託者である「セルサイドオーナーが『何』を目指しているのか」、つまり業務委託契約の「目的」を定義します。可能な範囲で明確に定義しましょう。特別な目的や事情がある場合も、適宜記載しておきましょう。情報漏洩リスクが特に気になるユニークな強みのある会社の場合、前文において、「情報漏洩リスクに可能な限りの注意を払いつつ」といった「M&A業者による委任業務の前提」を書き込んでおくことで、「企業機密が情報漏洩したリスクだけが残り、結局売れなかった」という最悪の事態を回避する努力をM&A業者に課すことも一案と思います。後に詳述しますが、情報漏洩対策に対する姿勢は非常に重要で、アイミツをとったM&A業者が良質か悪質かを見極めるポイントの1つになります。「下手な鉄砲数撃ちゃ・・」を許容するメリットとデメリットを比較考量することが必要ですね。
■ 業務範囲(スコープ):
ここでは助言業務の「具体的な業務内容」を記載します。ただし、業務委託契約締結時点では、M&A助言会社側でターゲット企業(売り手企業)についての知識が少ないケースが多いので、曖昧な表現にせざるを得なくなりがちです。しかし、曖昧な表現の真に意味するところをセルサイドから積極的に質問をして、目的を達成するために必要不可欠なサービスがすべて含まれているかどうかを確認してください。
片手タイプか両手タイプかで、雲泥の差があるのがこの「スコープ」です。
本来の望ましい関係である片手契約(FA契約: Financial Advisory契約)では、広範囲のバイサイド探索、セルサイドの利益最大化のために有益と思われる膨大な作業や、セルサイドの利益最大化のみを目的とした交渉支援をはじめとした広範囲かつ深度ある汗をかくサービスが必ず含まれます。しかし、バイサイドからも報酬を受領する両手業者の場合、表面上同じような条文に見えても、実際には双方代理リスクがあり、バイサイドが仲介業者のお得意様であるケースもあるため、事実上、判断や交渉をバイサイドに全面的に委ねる(=完全にバイサイドペースでの交渉)というリスクも否定できません。契約を締結する際、できるだけ具体的かつ正確に、どのような範囲、品質、スピードで業務を遂行してくれるのか、希望する条件を達成するための具体的プロセスを把握してください。アイミツをとり「徹底的な質問責め」をすることで、業者間の違いを具体的に理解できると思います。
とくに重要なのは、バイサイド候補のリストアップと具体的な提案・交渉方法でしょう。できるだけ具体的に、どのようなプロセスを経てバイサイド候補リストや提案内容が完成させてくれるのか、個々の企業に応じたオーダーメイドのサポートを本当にしてくれるのかを確認してください。とくに開示資料のクオリティは非常に重要です。「自分がバイサイドだったらどういう情報提供をしてもらうと好条件を提示しやすいか」を想像して、そのクオリティが充足されそうかも判断してください。ターゲット企業(売り手企業)に関する開示情報を作成する過程で、M&Aアドバイザーはターゲット企業のエキスパート(専門家)になり、それが最適な相手選び、刺さる提案(M&Aストーリー)、将来に対する高い期待を反映した公正価値(フェアバリュー)での売却につながります。
■ 情報提供義務
M&A助言会社は、セルサイドからの情報提供がなければ仕事ができません。また、セルサイドが独自にバイサイド候補と情報交換すると、M&A助言会社が状況を把握できなくなって、的確な助言が難しくなってしまいます。そのため、M&A助言会社は自らの仕事の質を維持するため、セルサイドに対し、情報提供義務を課すことになります。契約に含まれる一般的条項です。
ここで、問題なのは、本来M&A助言会社が自ら遂行すべき重要な業務について、(セルサイドのコスト負担で)経営コンサル等の外部専門家を別途起用させ、自己の力量不足を補おうとするケースもあるようで、その場合、M&A助言会社に重要な情報が集積せず、セルサイドオーナーに有利な手を打てなくなるリスクも生じます。また、情報漏洩リスクを最小化するためにも、M&A助言会社があらゆる情報を、自ら一元管理してくれる方が望ましいわけです。十分な能力と経験を有するM&A助言会社は、経営コンサルティング会社等の起用をセルサイドオーナーに勧めることはありません。なぜなら、すでにターゲット企業についての最高の専門家であるセルサイドご本人がいるし、M&Aアドバイザー自らもターゲット企業についてのエキスパートにならねば、ハードなM&A交渉での成功は覚束なくなるからです。
ワンストップで完結できるM&A助言会社の方が情報漏洩リスクを限定できますし、なによりも、担当者に全ての情報が蓄積するので、効果的かつ効率的なサポートが可能となるでしょう。
■ 専属的関係
M&Aでの会社売却を成功させたいと思うセルサイドとしては、「1社のM&A助言会社にすべてを委ねるリスクを回避したい」という方もいらっしゃいます。たしかに気持ちは理解できるのですが、実際には多数のM&A助言会社に委託したことで、野放図に売却案件がM&A市場を流通し、かえってマイナスになることも多いものです。1社のM&A助言会社に委託したとしても、ネットワークを有するM&A助言会社であれば、必要最低限の範囲で、信頼でき、具体的なバイサイドとの関係を有するバイサイドFAと、適度な距離感の連携をすることによって、1社専属によるデメリットの多くを緩和することも可能でありセルサイドが望めばそのような方法も選択肢として存在します(弊社(シェルパ・キャピタル・アドバイザリー株式会社)は全て自社完結できるようにしています)。
専属契約にする最重要メリットは、M&A助言会社の「やる気」が格段にアップする点です。多くの良質なM&A助言会社は、着手金やリテイナー・フィー等は少額に抑え、成功報酬によって生計を立てています。同一案件に、競合M&A助言が何社動いているもわからず、徒労に終わるリスクが高い案件には本腰を入れず、他の専属案件に注力する方が合理的となります。「下手な鉄砲が当たる可能性に賭ける」のか、「腕利きのスナイパー1人に頼むのか」という違いですね。ターゲット企業の状況によりますが、セルサイドFAとしての能力があり、相性も良さそうな片手業者が見つかった場合には、終了時期を決めて専属契約とすることを強くお勧めします。零細規模で平凡なターゲット企業を売る場合等、下手かどうかはさておき、撃つ鉄砲の数が大事なケースもありますので。
■ 機密保持義務
M&Aにおいて、ターゲット企業の営業機密等の情報やセルサイドが会社を売却しようとしているという意向は、外部に漏洩しないように厳重に管理されるべき繊細情報(センシティブ・インフォメーション)です。そのため、すでにNDA(機密保持契約)をM&A助言会社と締結していたとしても、改めて業務委託契約内でその必要性を確認することが通例です。
気になるポイントは、バイサイドを探索できないM&A仲介会社が、同業M&A仲介会社のネットワークを借用して探索するケースです。これは情報管理とプロジェクト統括をしっかりできるM&A助言会社ならよいのですが、野放図に拡散するリスクは基本的に負うべきではありません。少なくとも「外部第三者のM&A業者を探索範囲を拡大するために利用する場合には、セルサイドの事前承諾を得た相手と目的と範囲に限定する」など、セルサイド自身が個々詳細な状況を正確に把握できるようにしておくことが無難です。M&A会社売却における「丸投げ」は危険です。万が一、機密情報の漏洩が生じ、事業に重大な悪影響が生じた場合の責任追及、このような事態が起きにくくするための予防として、「開示相手の事前承諾」を課し、違反した場合には「連帯責任」を負わせる等の仕組みも有効と思います。NDAを事実上骨抜きにすることもできてしまうので、慎重に議論した上で、許容するかどうかを決めてください。
一文一文をよく読むと、「機密保持義務」という章なのに、「業者判断でいくらでも情報漏洩できる」としか読めないような「NDA骨抜き条項」を契約ドラフトに盛り込んでいるケースもあるようですから、本当に気を付けてほしいポイントの1つになります。比較することが大事なのです。
■ 有効期間
有効期間は最低でも半年程度の期間とし、交渉が継続していれば自動延長とする形が一般的かと思います。しかし、セルサイドオーナー(売り手)のニーズや案件の難易度・業務量次第を踏まえ、M&A助言会社と柔軟に協議して取り決めればよいと思います。
誠実なM&A助言会社であれば、セルサイドオーナーの心配にも配慮して、短めの期間でも全力で頑張ってくれる可能性もあります。
当然のことながら、契約が終了しても機密保持義務等の重要な義務は残るようにしておくことは必須です。機密情報の漏洩は、有効期間に関わらず、できれば2年以上の期間(理想的には重要事項だけでも永久)とするように交渉しましょう。中には、”契約締結時から1年”という短期間(つまり、1年かかって売れなければ、契約終了の即日、M&A業者は機密を気楽に喋ってよい、それがライバル企業であったとしても)で機密保持義務から解放してしまう契約を勧めてくる業者もいるようですから気を付けましょう。特に、両手業者の場合には、M&Aを頻繁に実行するバイサイドはお得意様である場合があるので、気を付けるべきポイントの1つとなります。ターゲット企業の営業機密が、ライバル企業の得となり、ライバル企業から仕事をもらえる両手業者にも得となるなら、セルサイドはないがしろにされてしまいかねないという構図です。機密保持義務期間は、契約終了後も十分な期間を設定しましょう。できれば、(契約締結後ではなく)交渉が終了してから、(1年ではなく)2年以上です(欧米なら「永久」もあるくらい重要なポイントです)。
■ 契約の解除
セルサイドオーナーから、何の前触れもなく、一方的に契約を解除されるとM&A助言会社は本当に困ります。弊社のように数千時間も投入してから途中でポイ捨てされては立ち直れません。そのため合理的な理由がある場合にのみ、契約を解除できる形にすることが一般的です。逆に、ほとんど負担のないマッチング限定業者の場合、「マッチングのためと称したバイサイド詣でのためのネタ提供」は「負担」にすらないませんので、契約解除に多くの制限をかける理由はないはずです。しかしながら、そういうマッチング専門業者なのに、本格的なFAよりも厳しい解除禁止条項(事実上、途中でクビにできない条項)を設けているM&A仲介業者もいるようです。義務と権利のバランスの取れた合理的な契約を結びましょう。理不尽な契約を強いるM&A助言会社は信頼できません。
■ 報酬
報酬の仕組みを定めます。着手金、リテイナー・フィー、マイルストーン・フィー、成功報酬といった報酬の種類、その発生条件、報酬金額の計算方法、単純な100%株式譲渡ではない場合の報酬の計算方法などを定めます。
重要なのは貢献と報酬が”バランス(均衡)”しているということです。つまり、単なるマッチングサービスの場合には低い報酬料率、想定以上の結果を出すことに具体的に貢献した場合にはそれに応じた報酬とするなどのメリハリをつけることで、M&A助言会社に最大の努力を期待することができるようになります。
ここでも注意が必要なポイントがいくつかあります。M&A助言は成功確率100%ではありません。特に、M&A初心者のセルサイドが偶然知り合ったり紹介されたM&A業者が十分な能力と意欲を持っているかを判断することは難しいのが現実でしょう。途中でM&A助言会社を交代したくなった場合などに、交代を過剰に制限する条文があると問題です。つまり「M&A助言会社との契約が終了した後、M&A助言会社が”紹介した先”との間でM&Aが成立した場合、業務委託契約終了後、一定期間内、成功報酬が発生する」という「テール条項」と呼ばれる条項です。旧M&A助言会社と新M&A助言会社の両方に成功報酬を支払う義務が生じるわけです。この条項の本来の目的は、悪質なセルサイドオーナーによる「M&A助言会社の仕事が完成間近で、このM&A助言会社を切り捨て、バイサイドと直接交渉を進めて、成功報酬を浮かしたい」という欲求を、抑制することが目的です(つまり「業者使い捨て禁止条項」です)。M&A関係の契約書は元々英米法がベースになので、こういう裏切り行為も想定しておくべき社会背景があるのでしょう。
しかし、この条文を、悪質なM&A助言会社が自分の利益のために悪用することも可能であり、実際に悪用しているM&A助言会社が増えつつあるのが実情なようです。例えば、M&A助言会社が「紹介した先」という表現を曖昧に記載することで、「リストアップしただけ」、「単にノンネームシートを持参しただけ」、「情報開示が貧弱なので意味も薄い意向表明書(LOI)が出ただけ」のバイサイド候補を「紹介した先」と扱うことで、「漁夫の利」にあずかろうということです(つまり「漁夫の利権条項」です)。漁夫の利権条項を入れているM&A助言会社の場合、膨大な数のバイサイド候補をリストアップし、薄く広く打診しまくるのは、こういう下心があるからかもしれません。
成功報酬を支払うのは、漁夫の利ではなく、具体的な貢献がある場合に限定すべきですね。ちなみに弊社では、M&A助言の結果、かなり具体的な確度が見込まれるプロセスまで進んで初めて「紹介した」と定義する条文を採用していますので、貢献が不十分であれば、漁夫の利トラブルは起きません。セルサイドオーナーからすると二重報酬負担ですから大問題です。しかも、テール条項(=二重報酬リスク)があるがために、不信感を感じているM&A助言業者を使い続けるしかなくなるという落とし穴も問題です。中には、「できるだけ情報漏洩を避けてほしい」と意思を伝えたのに、不必要に多くのバイサイド候補に対して提案する(つまり「つば付け提案」)をする会社もいるようです。その意図は、漁夫の利と交代禁止でしょう。
■ 譲受会社からの報酬受領の許諾<両手契約のみ>
片手タイプのファイナンシャル・アドバイザー(FA: Financial Advisor)との業務委託契約の場合、バイサイドからもM&A報酬を受領することをセルサイドオーナーに許容させる条文は絶対に入りません。M&A助言以外のサービスがある会社(金融機関等)の場合には、M&A以外の金融機関本業等の範囲で類似した記載がありますが、同じターゲット企業を対象としたM&A助言に関する両手報酬は金融庁から怒られるので絶対に入れません。「バイサイドからもM&A助言報酬を受領することをセルサイドに許容させる条文」は、両手業者であることの証です。セルサイドオーナーがこれに捺印するということは、双方代理リスクを認識した上で、自らの責任で不利となる状況を排除できるM&Aのプロと自任したと受け取られかねませんから、ご自身のM&Aに関する知識レベルを踏まえ、本当に双方代理リスクを自己管理できるかを検討した上で契約してください。民法は双方代理を原則禁止しています。その立法趣旨まで遡って慎重に検討すべきです。
両手業者には、「エージェンシー・スラック」という問題が付きまといます。絶対的味方として信用できるかを必ず確認しましょう。
■ 経費負担
必要経費についての取り決めです。報酬(着手金の有無等)と業務内容との兼ね合いで合理的に定めてください。ターゲット企業が海外や遠隔地に所在しているケースやバイサイド候補が海外や全国に所在しているケースは旅費交通費がかかりますし、バイサイドへの情報開示や最適なM&A用事業計画の策定のために調査費用等が必要になるケース、契約関連や法務関連について弁護士報酬をM&A助言会社が代わりに負担するケース等において、M&A助言会社とセルサイドがどのように費用負担を分担するのかが、この条文の主旨です。着手金が厚いのか成功報酬が厚いのか、目先のキャッシュアウトを許容できるのか許容しにくいのか等も考慮して相談しましょう。良心的なM&A助言会社であれば親身に相談に乗ってくれるはずです。
■ 責任
M&A助言会社ができることは、(いかに具体的な作業やアクションがあったとしても)あくまでも「助言」に過ぎません。当事者が最終的に全ての責任を負って、M&Aを実行するのか否か、実行するならどういう条件でするのかはセルサイド本人が最終決断するべきものです。そのためM&A助言会社に過度の責任が生じないような条文が入ることが通例です。ただし、助言を「隠れ蓑」に何をしても許されるとするのは本末転倒です。少なくとも故意・重過失の場合にセルサイドに損害が生じたなら、M&A助言会社に損害賠償責任を負担させるのが筋と思います。
M&A助言会社、特にセルサイドに助言する立場のM&A助言会社は、M&A初心者であるセルサイドオーナーが自らのニーズに則して正しい決断、正しい判断を積み上げられるよう、その判断形成のための判断材料、判断基準や選択肢を提示することが非常に重要な役割であり、良質なM&A業者は、求められれば何度でも詳細に説明する姿勢を持っています。特に、M&Aバンカーと呼べる真のM&A助言のプロは、単なる選択肢の提示にとどまらず、当事者意識をもって、事実と論理に支えられた「自分の意見」を形成します。最終的にセルサイドオーナーは決断しやすくなるでしょう。
業務委託契約は、非常に重要です。納得いくまで何度でも徹底的に質問責めにしてください。
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