中堅中小企業のオーナー社長として、M&Aによる売却を検討する際に最も重要なのは、M&A取引の最終契約書の内容を正確に把握し、その内容とリスクを十分に理解することです。しかし、M&Aプロセスが進む中で、知らぬ間に不利な条件に同意してしまい、一生後悔する結果になるケースが後を絶ちません。本記事では、よくある失敗例とその回避方法について解説します。
2010年頃まではM&Aアドバイザー(M&Aバンカーまたはファイナンシャル・アドバイザー(FA))は非常に狭き門でした。楽して大金を稼ぎたい人は投資銀行のトレーディング部門に入り、遣り甲斐を求める人がM&Aの門を叩いたものです。しかしそれは遠い過去の話となっています。いまや猫も杓子もM&A。素人の売主を、素人の自称M&Aアドバイザー(実態はビジネスブローカー)がパターン処理する、という情けない状況が恒常化しており、当然の帰結として、さまざまな問題を引き起こしています。
売主がM&A素人なのは仕方がありません。だからプロを雇うのです。しかしプロだと思って雇った人も実は素人なのです。売主を守るつもりがない。そもそも守る能力もない。こういうケースが過半なのです。売主にできることは「買主サイド弁護士にまくし立てられ、あれよあれよと酷い内容の契約にサインしてしまう、ことのないようにする」そのためには「情報を集めてしっかり学習する」それが大変なら「多少手間をかけても納得できる優良M&Aアドバイザーを探す」しかありません。
目次
デューデリジェンスの不備が招く悲劇
M&Aのプロセスでは、買主が対象企業の財務や法務、ビジネスモデルなどを徹底的に調査するデュー・ディリジェンスが行われます。しかし、売主であるオーナー側も、買主企業や提示条件について同様に慎重な調査を行う必要があります。
失敗例:
あるオーナー社長は、買主が提示した最終契約書に対し、M&A弁護士(リーガル・アドバイザー)によるレビューを行わずにサインをしてしまいました。その結果、譲渡対価の最終確定方法(価格調整条項)が契約後の期間に定まるようになっていて、理不尽なほど買主有利な内容になってました。さらに譲渡対価の大部分が後払いの支払方法になっていたことに気づきました。アーンアウト条項による将来受領できるはずの売却代金も達成不可能な条件に基づいていました。最終的に、受け取った売却金額は合意したと思い込んでいた金額の1/3程度となり、大きな後悔を残しました。
回避策:
信頼できるM&Aアドバイザー(FA)やM&A弁護士(LA)を早期に雇用し、契約内容を詳細に精査することが重要です。特に価格調整条項や表明保証(レプレゼンテーション&ワランティ)などのリスクが潜む契約条項には細心の注意が必要です。買主サイドの手練れのM&A弁護士が「問題なさそうに読めるが実は売主に不利になりやすい巧妙な地雷文言」を提示してきても、優良なFAとLAが味方にいれば安心です。
税務リスクを見落とすと、手元資金が激減
M&Aによる売却で得た金額は、当初は巨額だったかもしれません。しかし、税金の怖さを見誤ると、実際に手元に残る金額は大幅に減少します。
失敗例:
資金繰りのため子会社を売却したケースでは、複雑なM&A課税を甘く見積もって売却額に合意したため、売主法人の資金が不足し、企業の存続に困難をきたしました。また個人オーナー売主が会社を売却した直後、狙いすましたかのように税務調査が入り、多額の追徴課税が発生したケースもあります。M&Aで巨額のキャッシュが手に入った直後こそ追徴しやすいと考えて税務調査に入るタイミングを決めているのでは?というケースは少なくありません。顧問税理士がオーナー経費の損金処理を安易に認めてくれてきた場合などは特に要注意です。
回避策:
M&Aに精通した税理士や公認会計士と協力し、売却後のキャッシュフローや税務戦略を事前にシミュレーションしておくことが不可欠です。M&A会社売却の全体的な戦略の中に、M&Aスキームとそれぞれの税金負担シミュレーションを必ず加えれば、想定外のキャッシュアウトを回避できるでしょう。売却準備の中で税金リスク対策も加えておくとさらに安心感が増すでしょう。
契約条件が社員や顧客に与える影響を軽視
M&Aにおける契約内容は、オーナー社長自身だけでなく、社員や顧客にも大きな影響を及ぼす場合があります。
失敗例:
買主企業が従業員の大規模リストラを計画しているにもかかわらず、契約書にはその制約が一切記載されていなかったケースがあります。この結果、売却後に社員が大量に退職し、売主は長い間苦楽をともにした戦友とも言える役員従業員から一生忘れられない怨嗟の声を聞かされました。また、既存顧客に対する営業方針を確認しなかったため、買収後に顧客離れが進行し、買主企業の過度の自己中心主義がニュースにもなって、創業者としてつらい思いをした例も見られます。
回避策:
FAやLAと相談し、従業員継続雇用条項や顧客管理条項を最終契約書に盛り込み、守りたい対象を保護するための具体的な条件を定める必要があります。M&A交渉プロセスが本格化したら、できるだけ早い時期に買主企業のビジョンや経営方針を主題とした十分なコミュニケーションを図り、相互の信頼関係を築くことも非常に大切です。ただし、買主の負担を増やす以上、売主が得られる条件は多少妥協せざるを得なくなるかもしれませんし、交渉による着地点が見つからない場合には勇気ある撤退(破談)を選ぶべきかもしれません。重要なのは「売主としての決断基準」を事前に定めておき、優先順位に従って後悔のないよう覚悟をもって決断することです。
強引なネゴシエーションがもたらすリスク
買主との交渉では、売主オーナーが取引条件を妥協せざるを得ない状況に追い込まれることがあります。しかし、不利な条件を受け入れ、成約を優先することが必ずしも最善とは限りません。
失敗例:
あるM&A交渉で、DDも終わり後は契約を調印するだけとなった段階で、買主が買収価格を引き下げたいがため価格の再交渉を要求し、売主オーナーは破談になることを恐れて応じてしまいました。その結果、本来得られたはずの株式価値の30%も削られました。
回避策:
複数の買主候補と交渉を進め、選択肢を確保すること(M&A競争環境の確保と維持)が重要です。また、レター・オブ・インテント(意向表明書)の段階で交渉の範囲を明確にし、後の契約条件の変更を最小限に抑える戦略も有効です。相対交渉をしたがる両手報酬タイプのビジネスブローカーに依頼しないことこそが競争環境を確保する第一歩となる。期間限定相対交渉や限定的競争入札などの交渉スタイルも工夫可能な選択肢の1つです。
結論
M&Aはオーナー社長にとって人生を左右する大きな決断です。一見魅力的な条件に見える契約書も、細部にリスクが潜んでいることが少なくありません。売却後に後悔しないためには、適切な専門家のサポートを受けながら、契約内容を慎重に確認し、必要な交渉を行うことが不可欠です。
売却を成功させるには、冷静な判断と綿密な準備が求められます。後悔を回避し、理想的な未来を築くために、この記事を一つの参考としていただければ幸いです。