M&Aで会社を売却するという決断を下した瞬間、多くのオーナー社長は「自由な時間を得られる」という希望を抱きます。しかし、実際に売却を終えた後、その「自由な時間」が思わぬ苦悩や混乱を招くことがあるのです。本記事では、売却後の生活に潜むリスクと、そのリスクを回避する方法について掘り下げます。
売却後の現実──空白に苛まれる経営者たち
M&A取引が成立し、経営の重責や経営者保証から解放されると、多くのオーナー社長は一種の達成感に包まれます。しかし、その達成感は長続きしないことも多いのです。「毎日が自由になる」と期待していたはずが、むしろ「精神的な空白感」に苦しむケースが後を絶ちません。この現象にはいくつかの原因があります。
アイデンティティの喪失
売却後、「自分は何者なのか分からなくなる」という感覚に襲われる経営者は少なくありません。会社は多くの場合、オーナー社長の人生そのものであり、その喪失は自己の存在意識を揺るがすのです。
目的を失い、無為な日々を送る
自由な時間をどう使うか計画を立てていなかった場合、時間が過剰に余り、「何もすることがない」という事態に陥りがちです。その結果、無駄な浪費や心の空虚感に苛まれることがあります。
空白を埋めるためにやりがちな失敗
自由な時間を有意義に活用するための計画が不十分だと、次のような失敗に陥るリスクがあります。
再起を焦り、勝算のないビジネスへ投資
売却益を活用、新たなビジネスに挑戦することは魅力的です。しかし、冷静な判断を欠いたまま始めたビジネスが失敗し、大きな損失を被るリスクも存在します。特に、売却後の余韻の中で投資判断を急ぐと、勝算の薄いビジネスに賭ける決断に繋がりがちです。気が大きくなってしまい、リーンスタートアップすべきなのに、いきなり多額の初期投資をしてしまっては、あっという間に売却益は枯渇してしまいます。
家族や友人との関係が悪化
家族を顧みずハードワークを長期間続けてきたオーナー社長の家族は、オーナー社長不在がデフォルトになっています。売却後、家族との時間を増やそうとするあまり干渉が過剰になり、大事な家族にストレスを与えてしまう場合があります。また、売却に成功した事を聞きつけた友人や知人からの貸付の依頼やビジネス提案に悩まされるケースも少なくありません。
博打のような資産運用で一気に財産を溶かす
時間が無限に感じる中、収入はなくなり銀行預金残高が少しずつ減っていくと、資産運用によって減少をカバーしたくなります。徐々に欲望が冷静さを蝕み、高いレバレッジやろくに知らない投資先に多額のキャッシュを投じてしまうケースは非常に多いと言えます。特にネット取引の場合、キャッシュは単なる数字に見えるため、簡単に巨額の投資をしてしまい、僅かな期間で大事な資産を溶かしてしまうリスクがあります。多額のキャッシュが銀行口座に入金されると即座に金融機関から投資商品の案内が舞い込んでくるでしょう。基本的にすべて断りましょう。金融機関の営業マンが猛プッシュする金融商品は、金融機関だけが儲かる仕組みの中抜き商品です。
夜の遊びにのめり込む
(特に売主オーナーが男性のケースでは)自由な時間と潤沢なお金があると、ついやってしまうのが夜の遊びです。通常、半年以内に飽きるはずですが、なかには本格的にのめり込んでしまう人も存在します。お金や時間だけでなく大事な人間関係にひびが入ってしまう入口となるため、冷静さを保つ必要があります。あるM&A仲介の社長は「どうせすぐにお金を失って自己破産するのが関の山なんだから売り手にお金を渡すのは無駄。買主に喜んでもらう方が絶対いい。」などと、自らが構築したと自負する日本独自のM&A仲介スキーム(≒売主搾取スキーム)を正当化する発言を耳にしたことがあります。もちろん多くの賢明な売主は、冷静さを忘れません。この人が接待目的で夜の遊び場を経営しているのは有名な話です。あくまで冷静に、溢れた余りのお金と時間だけ使ってください。何も残りませんので。
売却後の「自由」を真の成功に変えるために
売却後の自由な時間を価値あるものにするためには、事前の計画と準備が欠かせません。以下のポイントを押さえましょう。
【1】売却前に次のステージを設計する
「引退後のプランニング」は、M&Aの準備段階から始めるべきです。信頼できるM&Aアドバイザーを見つけたら、色々相談するのもよいでしょう。事例や顛末を知っているはずです。M&A成約後、引継ぎ期間などのポストM&A期間が終了するなか、徐々に次の活動に移行する道筋を描いておくとよいでしょう。
【2】売却益の運用計画を立てる
売却後の利益を適切に運用することは、精神的な安心感を得るうえでも重要です。信頼できるファミリーオフィスやウェルスマネジメントの専門家に相談し、リスク分散を図る運用プランを構築することをお勧めします。悪質・無能ビジネスブローカーと全く同様で、楽して中抜きしたがる業者が跋扈しています。少額を複数名に任せ、その仕事ぶり人間性を確認しながら付き合う相手を選ぶと大きな失敗を避けやすいでしょう。
【3】自己実現のための活動を始める
新しいビジネスへの投資だけでなく、社会貢献活動や地域再生プロジェクトなどのコミュニティ活動も選択肢の一つです。これらの活動を通じて、新たなアイデンティティや目的意識を構築することが可能です。
「売却後の成功」を手に入れた事例
【事例1】公益財団の設立
あるオーナー社長は、会社を売却した後に得た利益をもとに、公益財団法人を設立しました。地域の若者支援や教育プロジェクトに取り組むことで、再び生きがいを見つけています。オーナー社長時代には縦の人間関係ばかりだったのが、横の人間関係が広がり、日々新たなな気づきがあるそうです。
【事例2】シリアルアントレプレナーとして再挑戦
M&Aで得た経験を活かし、次の事業で再び成功を収め、またM&Aで売却に大成功した例もあります。また、競業避止義務に抵触しないよう、売却先の買主企業とジョイントベンチャーを立ち上げ、相乗効果を発揮して新たな市場を開拓するケースが挙げられます。2段階売却等で全ての株式を売っていない場合には特に有効です。
【事例3】時間を喜びに変えるエッセンシャルワーク
売却益のごく一部で済むような小規模ビジネスを開始しました。しかも、売却した事業とは全く異なるエッセンシャルワークで、お客さんの喜ぶ顔を直接感じられるビジネスです。自分の趣味をそのまま事業にし、お金儲けは一旦横に置いて、身近な人間関係を構築する方向に切り替えたことで毎日が充実しています。AI時代を見据え、あえてエッセンシャルワークを選んだことで、長い余生を充実させられると期待しています。
まとめ
売却後の自由な時間は、慎重な計画と準備をもって初めて有意義なものとなります。M&Aを「経営の重責からの解放」と考えるだけでなく、「人生の新たなスタート」として捉えることで、売主としての成功をさらに引き立てることができるのです。自由な時間を真に価値あるものにするために、今から次のステージを見据えた準備を始めましょう。優良M&Aアドバイザーは、M&A取引が終了した後も親身になって相談に乗ってくれるものです。事情を知っている信頼できる人を確保しておけば、様々なトラブルを回避できるかもしれません。