「事業で成功した結果、業務内容と照らして市場平均以上の高額役員報酬を貰ってきた人への風当たりが強い」という事実を、どのように扱いながら、会社売却に臨むべきでしょうか?
逆に、事業は成功しているものの、風当たりを回避すべく正当な対価未満の役員報酬しかもらってこなかった人は、会社売却でどのように扱ってもらえるのでしょうか?
残念なことに、日本人には「中流平均市民を絶対善」とする風潮がいまでも残っています。明らかに時代遅れですが、これが現実なので、上手く立ち回るしかありません。コントロールできる領域に集中して成功を勝ち取りましょう。
ただし「風潮」は所詮「風潮」に過ぎません。「人の噂も七十五日」ですから、一時的な感情に流されず、冷静に「最大の創業者利潤」を獲得するための手段を追及してください。大事なことは「公正価値(フェアバリュー)は買い手によって全然違う」ということです。
創業オーナー社長は、次のような負担やリスクを背負ってきたはずです。
・事業失敗に伴い多額の財産を失う不安
・事業を軌道に乗せるための借入金等の保証リスク
・業を軌道に乗せるための道なき道を試行錯誤で歩む不安
・雇用している従業員等の家族の生活を守る大黒柱としての責務
・時に厳しい決断をする責務とそれに伴う計り知れない痛み
会社売却では、これらのリスクや負担を乗り越えて実現された企業価値が、正当に評価されるべきです。
目次
役員報酬のM&A会社売却価格での調整方法(総論)
会社の公正価値(フェアバリュー)は、ターゲット企業の単独のポテンシャルや、特定バイサイド(買い手)の能力や意欲を(一部)反映したDCF法やEBITDA倍率法等によって、つまり「将来の、そのバイサイド企業が経営権を獲得した場合の、ターゲット企業のキャッシュフロー獲得能力」が企業価値に反映される評価手法で算定されるべきです(現実には様々な理由で、大企業M&Aでしか浸透していませんが)。
将来キャッシュフローを見積もる際、経営者が担っている業務に比して必要以上に高い役員報酬を貰っていたのであれば「過大役員報酬」として、逆であれば「過小役員報酬」として調整されることになります。※即座に引退するとしても特殊ケースを除き、オーナー社長の役員報酬を全額加算調整した将来キャッシュフローで評価してもらうことは困難です。
調整額は、「実際の役員報酬」と「同等の業務を遂行する経営者の役員報酬の市場平均額」の「差額」となります。
例えば、調整前のEBITDA(営業利益+減価償却費)が5,000万円、オーナー社長の役員報酬が3,000万円の会社を売却するケースではどのような調整になるでしょうか?
役員報酬はEBITDAの段階ですでに控除されていますから、仮に同等業務役員報酬が1,500万円だとすると、差額の1,500万円(3,000万円 – 1,500万円)が過大役員報酬となります。
したがって、調整後EBITDAは、5,000万円 + 1,500万円 = 6,500万円となります。社長が交代すればEBITDAは1,500万円増加することを意味します。
逆に、同等業務役員報酬が5,000万円だとすると、2,000万円が過少役員報酬となります。
したがって、調整後EBITDAは、5,000万円 – 2,000万円 = 3,000万円となります。社長が交代すればEBITDAは2,000万円減少することを意味します。
また、この会社を軌道に乗せる過程で、他社との「差別化」に成功していたり、いまだに実現できていない「改善・成長余地」が残っていることが証明できれば、EBITDAに掛け算する「倍率」を高めに交渉する余地があります。
つまり、オーナー社長が負担してきたリスクが高いほど、模倣されにくく、成長可能性があるために、「倍率」が高くなる、「会社売却額」が高くなる可能性があるということも意味します。
調整EBITDA × 倍率 = 事業価値
事業価値 + 事業外資産(余剰キャッシュ・投資不動産等) = 企業価値
企業価値 - 純有利子負債 = 株式価値 (=株を売却して受け取ることのできる税引前売却収入)
ですので、結論的に、「同等業務役員報酬は低い金額で代替経営者が見つかる。」と主張した方が、調整EBITDAは高くなり、会社売却額は高くなる可能性がある。「過去に背負ってきたリスクが大きく、そのリスクを抱えてこその今の地位を築けた。」と主張した方が、倍率が高くなり、会社売却額が高くなる可能性がある、ということを意味します。
M&A助言会社の交渉の巧拙次第ですが、これだけでも億円単位の差は生じるわけです。
実際役員報酬と同等業務役員報酬
「実際の役員報酬」は簡単に計算できると思います。過去の決算書から数字を拾えばよいだけです。
一方で、「同等の業務を遂行する経営者の役員報酬の市場平均額」は簡単に計算することはできません。
社内に次期社長候補がいて、交代後の役員報酬も決まっているというケース以外は、市場平均的な金額を推計する必要が生じます。バイサイド(買い手)としては、自ら適当な後継社長をすぐに送り込める経営者育成に力を入れているバイサイドでない限り、十分に有能な経営者にかじ取りをしてもらわねば不安ですから、過少な代替社長の役員報酬額(大きな加算調整額)を認めたくはありません。大きな加算調整を認めてもらうためには客観的な根拠が必要です。
外部のエグゼクティブリサーチ会社(人材紹介会社)等に、M&Aの交渉過程で経営人材の採用について実際に打診してみる、という手もありますが、このように現実のサンプルを入手できるケース以外では、M&A参加者の「予想」が決め手になると考えておくべきです。この際注意すべき点は、日本の経営者人材は不足しているという事実、業務内容が過大評価されないように情報開示するという点でしょう。
オーナー社長ご自身が勇退するとしても、当面会社に残るとしても、外部第三者が経営権を持つ状態ならば続投が難しくなる親族役員の役員報酬(経営への貢献の薄い親族役員の役員報酬)も調整EBITDAにプラスできるという点も重要です。「貢献の薄さをアピールした方が得」、「貢献が薄い親族役員の代わりとなる役員・従業員が優秀とアピールした方が得」ということになりますので、普通のイメージ(経営者が優秀なほど会社の価値が高まる)の逆な感じがしませんでしょうか?
上場(IPO)なら優秀な経営者がいなければ株価は高まりませんが、引退予定の社長が優秀だと、代替人材を探すハードルが上がるため、価値が下がる、引退予定の経営者がイマイチと思ってもらえる方が安心してもらえるため、価値が上がるのがM&Aです。
「後継者の育成」とも密接に絡みますが、社内で「1人でオーナー社長の代わりを担える人材」を育成するのは困難としても、「経営チームのメンバーなら担える人材」を1人でも2人でも育成しておく価値は高いと言えるでしょう。M&A前に、多少の時間をかけてでも、バイサイド候補の選択肢が大きく広がり、数億円の売却額ジャンプアップの可能性が生まれるのですから。
調整EBITDA・倍率・DCF法
別の記事にまとめていますので、参考にしてください。
役員報酬のM&A会社売却価格での調整方法(各論)
実際には、こんなに単純な事だけでは、セルサイドとバイサイドの複雑なニーズを充足させることはできません。※使えるM&Aバンカーと相談すれば、最適な方法を即座に見つけてくれますので、心配は無用です。
以下のような事を総合的に考慮して、M&A戦略を設計すべきでしょう。特に、報酬受領の形態によって異なる税金面の考察は必要不可欠です。
オーナー社長が事業成功への貢献に対する報酬として受ける方法
無限大ともいえるバイサイド候補は、それぞれが、ありとあらゆる様々な事業を、色々な特徴あるやり方、独自の強みや弱み、機会や脅威の中で運営していますから、「ターゲット企業(売り手企業)の価値は、バイサイド次第で大きく変わる」のが当たり前です。極端な話、全く同じターゲット企業について、あるバイサイドは「金に糸目は付けない。ぜひ譲ってほしい」と言ってきたのに、別のバイサイドが「たとえ1円でもいらない」と言ってくることもありうるのです。その中で、ご自身が納得できる対価をどのような形で受領するかは、やり方1つで大きく変わります。使えるM&Aバンカーと早めの相談の上、方針を決めておくとよいでしょう。ギリギリになると税務当局対応上、打てる手が少なくなってしまいますので。
・役員報酬
・役員退職慰労金
・会社が複数のケース
・株式譲渡対価の種類
・ストックオプション
オーナー社長が報酬を受け取るタイミング
オーナー社長は、リスクに対するリターンとして、貢献に対する報酬として、何らかの名目で経済的価値を受領する権利があります。売却前に役員報酬等で会社から貰えるだけ貰うという方法もあれば、売却時に多くを貰う方法、売却後にも分割して貰う方法(二段階売却等)もあります。売却前の過大役員報酬は、会社の余剰キャッシュが低くなって企業価値は小さくなり、役員報酬という費用が大きくなった結果、法人税等は小さくなって余剰キャッシュは少し戻り、税率の高い個人所得税が大きくなります。将来の企業価値の成長見込み、ご自身が現金として確保したい金額、バイサイドの意向等を総合的に勘案してバイサイドとの交渉に臨むべきです。
・売却前(役員報酬、役員退職慰労金等)
・売却時(株式譲渡の対価として金銭を受領)
・売却後(継続して役員報酬等、勇退時の役員退職慰労金、ストックオプション等)
オーナー社長の社内での役割
オーナー社長が、会社売却後、会社の役割としてどのような内容が残るかは、バイサイド次第、オーナー社長の能力次第、オーナー社長の事情次第となります。M&A後の経営者を誰にするかは極めて重要なテーマであり、即時引退を希望する場合、下手な手を打つと売却額が大幅に下がったり、案件がブレーク(破談)になりかねないテーマです。バイサイド選びの段階(もしくは会社売却を決断する遥かに前の段階)から、慎重に作戦を練っておくべきです。
・後継者存在・即座に引退可能
・後継者不在・当面完全引退は不可能
・同業支配下での雇われ社長として継続する選択肢
・外部から社長を招聘
・経営チームのメンバー育成
・引継ぎ期間
税務上の損金算入要件
役員報酬や役員退職慰労金は、損金算入の条件が存在し、万が一、否認された場合には、法人所得の計算上、加算調整され、法人税等が追徴されるリスクがあります。会計税務に精通したM&Aバンカーとよく相談してください。
・役員報酬
・役員退職慰労金
税率
一番税負担が重いのが所得税の累進課税の対象となる役員報酬(賞与含む)です。株式譲渡所得として受領すると20%程度の分離課税にできますので、役員報酬で貰うよりも株式譲渡対価をして貰った方が手取りは多く残ります。会社にキャッシュがあるか否か、役員在任期間や功績倍率等に左右される役員退職慰労金、シンプルで税率も低い株式譲渡所得から、バイサイドが許容する範囲で合理的に選ぶことになります。
・役員報酬
・役員退職慰労金
・株式譲渡
お金以外の価値
オーナー社長にとって、会社は「金儲けの道具」としての位置づけだけではないと思います。お金以外の価値についても、しっかりと妥協することなく、最も納得できる形を目指しましょう。